「私の趣味は、ジグソーパズルです!」と公言する人って、あまりいないんですよね。
おそらく、
「ジグソーパズル?やったことはあるけど、別に趣味ってほどじゃ…」
とか
「ジグソーパズル?あれ、やってるとイライラするんだよねー。私には無理( ´д`)y-~~~」
とか
「ジグソーパズル!?ゃ…やめろ…。その名前を、俺の、俺の前で出すんじゃねぇええええ!!((((((;゚Д゚)))))」
とか言う人が大半なんだと思います。
至極残念。
しかし、実際のところジグソーパズルの楽しさを語るのは容易ではなく、また語り切れたとしてもそれが伝わるかどうかは不確かなので、ひとまず私の話をさせていただきましょう。
私とジグソーパズルとの出会いは、物心つくかつかないかの頃でした。
私は三人兄弟の末弟なのですが、兄上、姉上ともにジグソーパズルを多少ながらに嗜んでおり、当時私自身が手を出すことはなかったものの、子供心ながらに「ピースを合わせる」作業に抵抗感を持たない家庭に生まれ育っておりました。
また、共同作業を買って出たり、今まで積み上げてきた苦労を無下にするような行為は決してしない、空気を読める子でした。
そもそも共同作業をやらせてくれない、パズルをやってる時は俺/私に近づくなと釘付けする、それはもう弟思いの素晴らしい兄上姉上でしたので。
小学生に上がり、初めて自分で一つのジグソーパズルを完成させたい欲求に駆られました。
一番最初は100か200ピース程度の小さなパズルでしたが、完成させた時の感動はひとしお。
小学生も高学年に上がる頃には、市販のパズルの絵なんかでは満足できなくなっており、オリジナル(手持ちの写真等)パズルをやったりもしました。
当時の私は神仏への興味関心が非常に高かったため、プライベートの京都旅行で購入した千手観音の写真をパズルにしてもらいました。
オリジナルの写真が小さかったため、300ピース程度にしか引き延ばせなかったのですが、物が届くその日までwktkを隠しきれずにソワソワしながら待っていたのを覚えています。
数日後、そのオリジナルパズルが入荷したということで、抑えきれない衝動と共にお店に行き、ダッシュで家へ帰還、自室で即開封。
数十分後には完成してしまっていました。
∑(゚Д゚;)
( ゚Д゚ )
(・Д・)
(・ω・)
(;ω;)
そう、もうこの頃の私にとって、たかが300ピース程度では、滾りきった心を満足させることはできなかったのです。
これが、私の物語の序章。
――――ぼくは、登り始める。この、長い長い坂道を――――
ぇ?
蔵って何ですか?
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